遠坂凛と言う少女を一言で表すならば、ありがちだけど『太陽』と言う言葉かぴったりだろう。
 常に何物にも負けない光を放ち、周囲を明るく照らし、活力を与える。そんな彼女の輝きに、誰もが惹かれ、憧れる。
 かく言う俺もそんな風に彼女に憧れていた内の1人だった訳なのだが、だが、しかし……。

「シロウ、今日は何をしたんですか?」
「断じて、何もしてないぞ。俺は無実だ!」

 セイバーに白い目を向けられ、俺は全力で、でも小声で自身の潔白を訴える。
 チラリと覗き見た居間では、遠坂が一人座ってお茶を飲んでいる。
 さぁ、考えよう。鍵を掛けて出かけていた筈なのに、どうして遠坂が家に上がり込んでいるのか、とか、何時の間に紅茶用のティーセットなんて代物が我が家の台所に装備されたのかとか、そんな事はさて置き──
 何故に彼女は、一見これ以上無いと言い切ってしまえる程に満面の、薄ら寒い笑顔を浮かべて居るのだろうか?

「セイバー、ここは一先ずの撤退を提言する」

 俺の言葉にセイバーは深く頷く。
 そして、静かに、ゆっくりとその場を後にしようとする俺たち。
 しかし、彼女ともあろう物が、一度網にかかった獲物をみすみす見逃すはずも無く──

「あら、帰って来たと思ったら、また二人でお出かけ?」

 無慈悲な女神は、限りなく優しい声を俺の背中に投げつける。
 凍りついた様に、その場に立ち尽くす俺。
 ──振り向くな、死ぬぞ!
 ちょっぴり死線を掻い潜ってきた俺の感がそう告げる。
 ──大人しくしろ、死ぬぞ!
 どぉせぇっちゅーねん!

「そんなトコに突っ立ってないで、こっち来て座ったら?お茶くらい淹れるわよ」

 太陽に近づきすぎた者は、容赦の無い赤熱をもってその身を焼かれるのだ……。




 P

arade






 麗らかな春の日の昼下がり。正座する俺とセイバーの向かいには、にこやかに、そして優雅に紅茶を飲見ながらも、得体の知れないプレッシャーを放つ遠坂が居た。
 恐る恐る自分の前に置かれたティーカップに手を伸ばしながらも、警戒は解かずに遠坂の様子をじっと伺う。
 思い出せ!
 俺は脳をフル回転させて、彼女の怒りの原因を特定せんと、ここ数日の記憶を微に入り細に入り掘り起こす。
 そんな俺の苦労も何処吹く風で、隣に座るセイバーは、お茶受けのクッキーをモリモリ食べている。
 サク、サク、サク、サク
 静寂が支配する部屋の中、セイバーがクッキーを齧る音だけがやけに大きく響いていた。
 カチャリ
 何時までも続く緊張に俺の忍耐が悲鳴を上げ始めた時、頃合を見計らったかの様に遠坂がカップを置いた。
 来るっ!そう判断した俺は、心の中で咄嗟に身構える。

「で、今日は朝から二人して何処に出かけてたのかしら?」

 鈴の音如き美しい声の裏で、彼女は言外に告げる。この場での偽証は万死に値する、と。

「何処って、ただ商店街に買い物に行ってただけだよ。な、セイバー?」

 クッキーを租借しながら、セイバーはコクコクと頷く。
 休む事無く、一定の間隔をもってテーブルに伸ばされる手は、皿の上のクッキーが無くなるまで止まる事は無いのだろう。

「態々セイバーを連れて買い物に?」
「セイバーの身の回りの物を買いに行ったんだけど、本人に付いて来てもらわないと色々面倒だろう?」

 服なんかは特にそうだ。って言うか、俺には女の子の服を選ぶどころか、一人で店に行っても買う事なんて出来ないぞ。下着に至っては店に入る事すら出来ないので、セイバーに一人で行って貰ったくらいだ。
 いや、まぁ、それなりに興味はあるんだが、度胸が……。

「身の回りの物ねぇ。なんかもう、すっかり家族の一員って感じね」
「当たり前だろう? セイバーはこれから一緒に暮らして行くんだから、血が繋がっていなくても俺たちは家族だよ」
「それよ!そこよ!」

 何を当たり前の事を、と答えた俺に、遠坂はここぞとばかりに噛み付いてくる。

「何で当たり前のように、セイバーがこの家に住む事になってるのよ?」
「はぁ? 何でって、それは────」

 何でだろう?

「セイバーは今はわたしのサーヴァントなのよ?」

 そうだ、今の今まですっかり、きれいさっぱり忘れていたけれど、今セイバーは遠坂と契約をしていて、俺とは何の繋がりも無いんだった。あんまりにも自然に、セイバーが我が家で寝泊りして、飯食ってるから疑問に思うことも無かったけど。
 しかし、セイバーが家に住み始めてから今日で約一月、柳洞寺での決着からも既に2週間経っている訳で、つまり、遠坂自身その事については気づいていなかったと……。

「確かに私の今のマスターは凛です。しかし私は凛と契約するよりも前に、シロウの剣となりこの命ある限り彼を守ると誓った。サーヴァントとしての契約が無くなった今でも、私は出来るだけシロウの近くに居たいと思っています」

 セイバー、クッキー食べ終わったんだな。俺は1枚も食ってないんだが……。

「もちろんそれは凛が許してくれるならば、という話ですが」
「じゃぁ、わたしが駄目だと言ったらこの家を出てわたしの家で生活するのね?」
「それはとても残念ですが、マスターがそう言うのなら従います。しかし、私の知っているトオサカリンと言う少女は、その様な事は言わない筈です」

 真っ直ぐに、遠坂を見据えてセイバーはそう言い切った。
 言い切ってしまった。
 清々しいまでにそう断言されて、いったい誰が『駄目』などと言えようか?

「駄目よ」

 ……遠坂は言えるらしい。
 流石だ。って感心している場合じゃない。

 俺はセイバーを家族として受け入れ、その彼女がここに居たいと言ってくれているのだから、何とかしてやらなければ!

「シロウ、短い間でしたが世話になりました」
「切り替え早ッ!」

 潔過ぎるぞ、セイバー!





「おじゃましまーす」

 廊下の置くから軽やかな聞きなれた声がして、足音が此方に向かってくる。

「こんにちわ、先輩、セイバーさん。あ、遠坂先輩もいらしてたんですね」

 ああ、桜、何てタイミングの悪い。
 この部屋の荒んだ空気に気づかない桜は、ニコニコと柔らかな笑みを浮かべ、よっこいしょなんて年寄り臭い言葉と発しながら遠坂の隣に腰を下ろした。

「こんにちわ、桜。シンジの様子はどうですか?」
「もうだいぶ良くなってきましたし、後遺症とかも無いみたいですっかり元気ですよ。後は体力が元に戻るのを待つだけです」
「それは良かった」
「桜もこれで漸く一安心だな」

 嬉しそうに慎二の回復を伝える桜の様子に、つられて俺もセイバーも自然と微笑を浮かべる。
 慎二が元気になる事もそうだが、俺としては慎二が入院して以来沈みがちだった桜が、最近良く笑う様になったのが素直に嬉しい。
 フェミニスト気取りだった親父の言葉じゃないけど、女の子はやっぱり笑っていた方が良い。
 そう、笑っていた方が良いんだけど──

「何かしら?」
「え、ああ、いや、何でもないですじょ?」

 光った、今眼が光ったよ、ギラリって! 獲物を狙う鷹の目だったよ! ゲッチャクチャおっかねぇっすよ、隊長!
 っていうか、隊長ってダレ!?

「つかぬ事を聞くけど、桜はこの家の鍵を持ってるのよね?」
「はい、一年位前に先輩から貰いましたけど、それが何か?」
「藤村先生も持ってるのよね?」
「藤ねぇは一応この家の管理、監督を任されている身だからな」

 本当に、一応でしかないのだが……。

「私も持っています。先日シロウから渡されました」

 そう言って、セイバーはデフォルメされた黄色いライオンのマスコットがついた鍵をポケットから取り出す。セイバー自らが選んだそのキーホルダーは、大きな声では言えないがかなりブサイ──、いや、変な顔だ。
 因みに、どうでも良い事だが、藤ねぇの鍵にはこれまたすっげぇブッサイクなトラのマスコットが付いている。

「ひぃ!」

 小さく悲鳴を上げて思わず仰け反り、座ったままの姿勢で膝を引き摺りながら後退る俺。
 セイバーの鍵を見た瞬間、遠坂がスゴイ顔をした。
 いや、何がどうスゴイのかを言葉で説明し尽くす事は不可能なのだが、あえて一言で表すならば、チビッ子が見たら絶対トラウマになるとだけと言わせて貰おう。っつーか、俺はもうスッゴイ勢いで、光の速さで一足お先にトラウマった。
 遠坂の隣に座る桜は気付かなかったらしく、どうかしましたか? 何て不思議そうな顔で此方を見ているし、セイバーに至っては、至福の表情でキーホルダーのライオンを見つめている。
 もう一度、遠坂に視線を戻す。俺の目の前に座った彼女の顔にはもう笑顔は無く、そして彼女は、何かを決意したように一つ頷いて口を開いた。





 ────我が耳を疑った。
 脳がその言葉の意味を理解できず、いや、理解する事を拒絶し、ヒステリックな悲鳴を上げる。

「桜、今の遠坂の言葉を日本語に訳してくれ」
「ごめんなさい、先輩。私、駅前留学の経験は無いんです」
「どうしよう、もう直ぐロサギガンティアは卒業しちゃうのに。そうしたらもう、こんな風に助けてくれる人は居なくなっちゃう」
「シロウ、帰ってきなさい。逃避の果てに希望はありませんよ」

 それは真理ではあるけれど、強者の真理だよ、セイバー。人生、時には引く事も必要だ。
 勇気と無謀を同じポケットに入れるなって、大佐にも言われたしな。
 っつーか誰だよ、大佐って。

「さぁ、ぼーっとしてないで、早速荷物を運ぶから手伝って」
「何が、どうなって、何の荷物を運ぶんだ?」
「だから、わたしが、この家に住むから、その為の荷物を、ここに運ぶのよ。分かった?」

 丁寧な説明どうもありがとう。

「ここに住む、ねぇ……」

 い、今更そんな発言程度で驚いたりなんかしないぞ。こちとら、伊達に毎日いじめ……もとい、からかわれてる訳じゃないんだ。

「シロウ、お腹が空きました。昼食はまだですか」
「わーおぅ」

 慣れたとは思っていたが、やはり君のマイペースさには吃驚だよ。
 流石です、王様!

「分かりません、分かりたくありません。そんなの駄目です。駄目、絶対駄目!DAME DEATH!」

 俺の代わりに桜が大騒ぎを始める。
 何だかメタルッぽい台詞をかましつつ、駄々っ子みたいに腕なんかブンブン振り回しちゃってる桜は、見ていてちょっと可愛い。
 だが、それ以上に面白い。
 桜とも長い付き合いだが、こんな激しいアクションを見るのは初めてかもしれない。
 よく知っているつもりで、まだまだお互いに知らない面があるんだなぁ、なんて一寸感慨深くなってみたり。きっと遠坂にもセイバーにも、こんな風に俺の知らない一面があって、願わくばそんな色々な顔を見てみたいなぁ、なんて考えて愉しくなってみたり。
 いやいやいやいや、逃避じゃないぞ? 決して目の前の現実から眼を逸らして、あらぬ妄想を育んでいるなんて訳ではないのですじょ。

「桜、貴方がどうしてそんなに嫌がるのかは知らないけど、これは家主である士郎が決める事で、ただの後輩でしかない貴方が口出しする事じゃないでしょう?」
「おい、遠坂。桜はこの家で生活している家族だ、まったく無関係って訳じゃないだろう」
「あーら、そう。じゃぁ、桜が反対するからわたしはここに住まわせないって言うのね」
「え、あ、いや、そう言う訳じゃぁ無いけどそれは色々と問題があるのではないかと……」

 世間的にとか、倫理的にとか、精神的にとか、ねぇ?
 俺としては遠坂と同棲──いや、寝食を共に、いやいや、セイバーも居るのに一緒に寝るのはマズイだろう、ってそうじゃなくて、共同生活を営むのは吝かでは無いんだけど、っつーか営むってなんかエッチィ響きだよなぁ、なんて混乱している場合か、俺よ!

「そうですよ、順当に考えてここに住む権利は私にある筈です!って言うか住みます。今すぐ!」

 お前まで何を言い出すか、桜よ。
 バッファオーバーフローを起こしている俺の脳に、これ以上DoSアタックを仕掛けないでくれ。

「桜、そんな事了承できる訳ないだろ。それに桜がここに住んだら、慎二はどうするんだよ?」
「先輩は私の事家族って言ってくれました。家族が一緒に住んでも問題は無いでしょう? 寧ろ自然なことです。それと、兄さんは今さっき、容態が急変して亡くなりました!」

 それとって、ついでみたいに殺すな!っつーか、さっき元気になった言ってたじゃないか!

「なんと、それは本当に残念です。桜も辛いでしょうが気を確かに」

 それを信じるか?、セイバーよ。
 そしてセイバーは、死とは、別れとは等々、坊さんの説教の様な言葉で桜を慰め、それに頷き、有難うございますなんて泣きながらお礼を言う桜。
 なんだ、なんなんだ、この展開は?

「そうですよね。泣いたりなんかしたら、天国の兄さんに笑われちゃいますもんね」
「ええ、そうです。笑顔で居る事こそが、一番の手向けになる」

 だから死んでねぇって。
 なんだ、なんなんだ、こいつらは?
 この展開、俺はどうやって収集を付ければいいのは皆目検討がつかない……。

「行くわよ、士郎。馬鹿が感染るわ」
 遠坂さんは、容赦なかった。





 人生山あり谷あり、とは言うけれど、俺の人生は最初の方にドデカイ山があって、それから10年近くは何も無かった。
 平和ではなく、平穏でもなく、ただ平坦な毎日。それは別に不満も無く、苦痛も無く、喜びも無い。
 そんな日々の途中、何の前触れも無く、心の準備も無く、突然に訪れた消失点、ヴァニシングポイント。それは衛宮士郎の折り返し地点、ターニングポイント。
 剣に導かれ、彼女に背中を押され、もう一人の自分に叱咤され、そうして俺は新しい道を歩き始める。
 目指すのはアルキメデスの点。
 誰の受け売りでもない、自分で見つけ出した、揺ぎ無い確固たる自分。右も左も分からず、足取りはたどたどしいけれど、迷うことは無いだろう。
 見上げれば、何時もそこには輝く太陽が見守っていてくれるのだから。

「何やってるの、早くしなさいと置いて行くわよ?」

 玄関から苛立った声が届く。
 ああ、実に騒がしい。
 ああ、なんて忙しい。

「まったく、気が短い」

 やれやれと肩を竦める俺に、セイバーはお茶を啜りながら頷く。その向こうの縁側では、桜が青空に向かって何やら決意を固めている。

「兄さん、私、兄さんの分まで幸せになって見せます、絶対に!」

 どうやら桜の目には、虚空に浮かぶ慎二の笑顔が見えるらしい。
 俺には雲一つ見えないが……。

「じ、じゃぁ、留守番は頼んだぞ」
「任せてください。シロウこそ、キチンとリンの機嫌を直してくるのですよ」
「わかてるって」

 苦笑交じりに了解して、玄関へと急いだ。

「おそいー」
「わりぃ、直ぐに靴履くからもう一寸待ってくれ」
「士郎」
「ん?」

 屈んで靴を履いていた所を不意に呼びかけられて顔を上げると、ふわり、と包み込むように俺の両頬に遠坂の白い手が添えられた。

「な──」

 何を、と言い掛けた俺の口は遠坂の唇に塞がれる。

「目、閉じて……」

 遠坂は一旦唇を離すと、俺の首に手を回し耳元で囁いた。
 もう、頭が真っ白で何も考えられない俺は素直に目を閉じる。
 視界は闇に覆われ、感じるのは遠坂の体温と狂ったように脈打つ自分の鼓動だけになる。

「士郎って、こういう時だけ素直よねぇ」

 従順な俺に気を良くした遠坂が、嬉しそうに俺の耳に囁く。

「素直な良い子にはご褒美あげなくちゃね」

 そう言って彼女は俺の唇に────
 ガブリ
 と、噛み付いた……。

「イッテぇ!」

 絡まる腕を振り解いて、全力で飛びのく。
 鉄の味を感じて唇を拭うと、少し切れたらしく血が出ていた。

「遠坂、いきなり何すんだよ!」
「別に? ただ噛み付いただけよ」

 そう言って、ニヤリと笑う彼女の口の端には、まるで食後の肉食獣か吸血鬼の様に赤い血が。
 それを彼女は躊躇する事無く、ペロリと舐め取る。

「次はこんなんじゃ済まさないからね」

 呆然とする俺を尻目に、彼女はそれだけ言って先に家を出て行った。

「な、何だったんだ……」

 絞り出すように、そう呟くのが精一杯で……。
 俺は、再度痺れを切らした遠坂が怒りの形相で帰って来るまで、その場にへたり込んでいたのだった。





END





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