雨の音を聞くと憂鬱になる、なんていうセンチメンタルでせつなさ炸裂な人間ではないけれど、どんよりと雲が垂れ込めた空を独り眺めていると、アンニュイって言葉を辞書で引いてみたくなって来るりゅん。

「退屈だね」
「そう。じゃぁ、する?」

 何を? とは一々聞くまでも無いって言うか、聞きたくない。きっと返って来る言葉は僕の想定するその斜め上を行くだろう。最悪だ、女の子として、いや、人類として。
 大体にして、引っ越して来たばかりの部屋の、買ったばかりの本棚が既にエロ本で満載ってのは一体どういうことさ? 学校用の端末立ち上げたらフィルタを無理矢理外して、ブックマークにエロサイトが山盛り登録されてたし。なんかもう、駄目とかそんな言葉じゃ表現しきれない駄目さと言うか、人の枠からはみ出しすどころか、ひょいっと飛び越えてる感じ?

「シャワー浴びてくるから、少しだけ待っててね」

 ぱちりとウィンクして、オマケに投げキッスを一つ。
 もしこの部屋に金属バットかゴルフクラブ置いてあったなら、きっと僕は、その後の人生を棒に振ってでも衝動を抑えられなかっただろう。あ、エロ衝動ぢゃないよ?

「そんなん浴びなくてよろしい」
「え? ああ、そういうフェチなのね」
「死んでくれ」

 名誉と誇りの為に犬死した自衛隊の兵士たちや、戦闘の余波で被害を受けた人たち、そして、今尚迫り来る脅威に晒されている人々が、それ唯一の対抗出来るのがこの変態だけだと知ったらどうするだろうか?
 僕ならソッコー自殺するね。うん、絶対。
 アスカー、綾波ー、ミサトさーん、誰でいいからタースーケーテー。

「君はさぁ、このシトシトと降りしきる雨を、靄の向こうにけぶる町並みを見て、何かこう、情緒を刺激されてリリカルな思いを抱いたりしないのかい?」
「雨の中だったら青姦って言えないわよね、野外プレイ? 響きに情緒が無いわね」
「死んでくれ」

 青姦って言葉の何処に情緒があるのかレポート用紙40枚に纏めて提出して欲しいね。絶対読まないけど。

「カグラ、そこにある国語辞書取って」
「取って欲しかったら跪いて靴をお舐め」
「死んでくれ」

 疲れるから、もうまともに相手しないよ。
 少し不機嫌そうに眉を寄せるカグラから分厚い辞書を受け取り、パラパラとページを捲る。なになに? 『人にある感慨をもよおさせる、その物独特の味わい。また、物事に触れて起こるさまざまな感慨』なるほど、更に分からなくなりましたよと。

「ねぇ、雨といえば、Singin' In The Rainって歌、知ってる?」
「知ってるよ、昔の映画のやつでしょ? 先生の所に居た時に見たことあるよ。あんまり覚えてないけど、傘を差して、踊りながら歌ってたのはぼんやり覚えてる。あと、タップダンスとかやってたなぁ」

 オッサンが楽しそうに歌いながら、道端の街灯かなんかにひょいって飛びつくんだ。

「あら? そんなシーンあったかしら?」
「え、違ったっけ? じゃ違う映画とごっちゃになってるのかな」
「私が知ってるのは、歌を歌いながら、夜道でホームレスの老人をステッキでボッコボコに殴りまくる映画よ」




 D

ear Feeling

act.4 雨、逃げ出した後






 現在僕らは第三新東京市郊外にあるマンションの一室を宛がわれ、其処で寝泊りしている。先日の戦闘の際に、宿泊先のホテルが半壊していまい、防犯上の理由で条件に合うホテルが他に無いとの事で、ネルフの職員用に立てられたこのマンションの一室に連れて来られたのだ。
 だからして、この部屋はホテル代わりの一時的な滞在場所であって、僕はここに腰を据える気は毛頭無い訳なんですが、そんな僕の想いとは裏腹に、日に日に増殖、侵食して来るカグラの私物。資金源とか、色々と追求したい次第なのでありますが、あの変態、何を聞いても「蛇の道は蛇」としか答えやがらねぇし。絶対、裏で汚い事してるに違いないんだ、いつか鉄格子の中に封印してやるからな。

「退屈だし、買い物でも行く?」

 リビングの真ん中で、寝転がってギャルゲーに勤しむカグラに尋ねる。

「メッセまで行くならついてく。近くの商店街なら行かない」
「ちょっと遠いけど、まぁ、ただの暇つぶしだし。良いよ、行こうか」
「じゃ、着替えてくる」

 そう言って立ち上がる彼女は現在、下着と大きめのTシャツ1枚羽織っただけのラフ過ぎる格好。勿論ノーブラって、何が勿論か、自分。
 最初の頃は流石に僕の方に(・・・・)羞恥があったので注意してたんだけど、無理矢理にでも服を着せようと彼女の洋服箪笥開けたら、ナース服とか、婦人警官の制服とか、スチュワーデスの制服とか、何かマンガで見た事あるような学校の制服とか、黒い革で出来たいやに光沢のある服と呼んで良いのか疑問に思っちゃう様な代物とか出てきて、ソレっきり何も言ってない。なんかもう馴れたし。

「僕って普通の純朴な14歳男子の筈だったのになぁ……」

 なんか、スッゴイ純情を穢された気分。サンタクロースなんて本当は居ない事を知った時、碇ゲンドウが僕の本当の父親だって分かってしまった時(昔は絶対に血は繋がって無いと信じてた)と同じくらいにガッカリだ。
 無意識に吐き出された溜息は、気だるい午後の空気に溶けて、雨音以外に音の無い部屋の隅々へゆっくり拡散していく。湿気の所為か気のせいか、何故だか服が何時もより重く感じられて、僕はもう一度溜息をついた。





 平日の昼間、しかも雨という事で、街は何時もに比べて閑散としている。それでも、街の中心部に近づくにつれて、貸しきり状態だった環状線の車内も段々と人が増えてくる。「今が撮影チャンスよ!」とか訳分からん事言ってた痴女も、今は大人しく携帯端末で今週発売の新作チェックに没頭している。良かった。
 車内アナウンスで目的の駅の名前を聞き、僕らは立ち上がる。やがて電車は止まり、ドアが開くと同時に乗っていた殆どの人が降りていく。僕たちもその流れに乗って電車を降りた。

「雨、少し弱くなってるね」
「帰る頃には止むんじゃないかしら。天気予報では、明日は晴れになってたし」

 タクシー乗り場に並ぶ人たちの行列を横目に、僕らは交差点を渡り、駅に面したショピングモールへ向かう。不思議と、まだ学校が終わるには早い時間なのに、制服に身を包んだ僕より少し年上の子供たちを多く見かける。みんな一様に化粧が濃く、まるでたった今一日が始まった様に無駄にテンション高くはしゃぎ回っている。

「まったく、バカ面引っさげてピーチクパーチク五月蝿いヤツラね」
「あのさ、そういうのを回りに聞えるような声で堂々と言わないでくれる?」
「気にする事ないわよ。どうせパンツか身体を売った金で遊び回ってるガキどもなんだから」

 何だか周囲の視線が剣呑なのは気のせいだと思いたい。例え気のせいでないとしても、その矛先は僕では無い筈だ。だって僕はこの阿呆とは無関係なんだから。

「ぼーっとしてないで早く行きましょ」
「ええい、腕を組むな、バカモノ!」
「今更腕を組むくらいでなに照れてるのよ。まぁソレはそれで、初々しくてカワイイけど」

 何でもかんでも自分の都合の良いように解釈できるその性格、とても羨ましいです、ハイ。そうなりたいとは決して、絶対に思わないけどね。
 しかし、たまには周囲の目と言う物にも気を配っていただけると非っ常にありがたいんですけどね、僕としては。

「照れてるんじゃなくて、拒絶してるんだよ。君の関係者だと思われたくない」
「残念、手遅れ」

 ああ、おねいさん方の視線がイタイ。もう一人では来れないね、ここ。
 しっかし、改めて周囲を見渡してみれば、誰も彼も、何処も彼処も至って平穏っちゅか、緊張感無いっちゅか、一応戦争中ですのよ? 人類の存亡をかけたりかけなかったり、フィーバーで確変キターって感じに。NERVの情報規制ってそんなに徹底したものなのかねぇ。それにしてはケンスケなんて、パイロットだった僕より内情に詳しかったけど。
 きっとあれだね。僕が思うに、父さんとしては使途だの何だの、知られたって別に構わないんではなかろうか? そりゃ知られたら色々と面倒はあるだろうから出来るだけ隠蔽はするけど、ばれたらばれたで、別に良いとか思ってそう。それに使途が襲ってくるのは父さんの所為ではないんだから、幾らでも開き直れるしね。

「ねぇ、結局NERV、いや、父さんは何がしたかったのさ?」

 両手にその筋のお店の紙袋を抱え、ホクホク顔で足取りも軽やかなカグラに、率直な質問を投げつける。

「知らない、という事にしておく」
「しておくってなんじゃい」
「教えない、って言うと禍根が残るから、知らないって事にしておく」
「カグラってさ……、ほんっとーに馬鹿だよね」
「失礼な」

 失礼なのは君と言う存在です。世界中に謝れ。

「そんなに知りたければ自分で本人に聞けば良いじゃない。クレクレ言う前にググれ」
「聞いて教えてくれる様な人なら聞くけどさ。下手な事聞いたら独房にぶち込まれそうじゃん」
「ま、そりゃ当然ね」

 ただでさえ初号機とシンクロ出来ないわ、実験にも協力しないわで、僕の立場は微妙なのに、そこで迂闊に突っ込んだ質問でもしてみろ、この薄汚いスパイめ! とか言われて、ゴミでも捨てるかの様にポアされっちまうですよ。

「それはイヤだなぁ」

 触らぬ髭に祟りなし、寝た髭を起こすな。適当に日和見してれば、その内良い事あるさ。きっと。





 この世界に迷い込んでしばらく経ったが、未だに見る物、触れる物から感じる現実感が乏しい。地に足が着いていないと言うか、浮遊感? なんか、周囲と自分との間に、薄い膜かなにかが張られている様な断絶感。世界が僕を拒絶する拒絶感。僕が世界を受け入れられない閉塞感。
 だけど、それらを総合して僕が感じる印象は「ちょっと居心地悪いなぁ」なんて、そんな程度でしかない。寧ろ、人に怯え、人を求め、人を嫌悪していた昔に比べれば、今の方が全然マシだ。傷つける心配も、傷つけられる心配もしなくて良いのだから。
 確かに、何処までも自分しかない閉じた世界は空虚だけれど、それでも愉しみ様は幾らでも在る。人々が様々なフェティシズムを持つ様に、人々が千差万別の性癖を嗜む様に――って、この例え、カグラに毒され過ぎてるな、僕。兎に角、人間の適応力は半端じゃないんだから、僕はこの夢の世界で、きっと楽しくやっていける筈だ。その自信も在る。

「カグラは楽しいのかい?」

 向かいの席で、チョコレートパフェにスプーンを突き立てる少女に尋ねる。
 今日は控えているのか、単にお腹が空いていないだけなのか、胃袋の化け物の様な彼女が注文したのは、ミルクティーと、そのチョコレートパフェ一つだけだった。
 落ち着いた雰囲気の余り広くない店内は、控えめな音量でクラッシックが流れている。聴いたことのある曲だけど、曲名は思い出せない。個人経営と思われるこの店の従業員は、店主らしい初老の男性とウィトレスの女性の2人だけ。店の雰囲気がそう見せるのか、いつも利用するファミレスと違って、店員の歩き方ですら無駄に優雅に見えるから不思議だ。
 歩きつかれてたまたま近くにあったから入った店だったんだけど、これは当たりだ。前の時はこっちの方はあまり来なかったし、探索する様な余裕も無かったから、こんな良い店がある事も知らなかったよ。いや、今居るここが、前に居た第三新東京市と全く一緒だとは限らないんだけどさ。

「何が?」

 口の中の物を飲み込んだカグラが、素っ気無く聞き返してくる。

「んー、何がっていうワケじゃ無くてさ……。まぁ、ぶっちゃけて言うなら、生きてて楽しいかって事」

 なんてテンパッた質問だろうか。人生って何? なんて真顔で聞いちゃう床屋の娘じゃあるまいし。こんなアヤシイ宗教の集まりや、NHKの青少年向け番組でしか聞けない言葉を目の前吐かれた日には、僕なら、失笑、失笑、また失笑の連続で、今後そいつとの付き合いを控えるだろう。
 あれれ? ひょっとして、僕、今、かなりキちゃってますか?

「楽しいわよ」

 カグラの事だから人目を憚らずに爆笑でもするかと思ったけど、彼女は安心を通り越して拍子抜けする程極普通に答えて、パフェの上に乗っかったサクランボを口に入れた。

「それに」

 口にサクランボを入れたまま、カグラはモゴモゴと言葉を続ける。

「楽しくないのなら、自分で楽しくすれば良いだけじゃない」

 ねぇそうでしょ? と悪戯っぽく笑い、彼女は舌を出す。その舌先には、蝶結びにされたサクランボのへたが乗っていた。
 化け物め。

「青春真っ只中なのねぇ、お兄ちゃんは」

 カグラは薄い笑みを口の端に浮べ、カップに口をつける。
 青春ねぇ……。暦を数え間違えてなければ、今頃とっくに成人している人間を掴まえて? すっげぇ微妙っちゅか、在りもしない悪意を感じてしまう僕は、目の前の変態っ娘に対して神経過敏なんだろうか。なんか「まだまだお若いですね」ってお世辞を言われたお爺さんの気分、いや違うな、大人になれよ! って怒られた元中学MVPの気分だ。

「ってーかさ、何で兄なワケ? 僕が、君の」
「最初はパパって呼ぼうって思ったのよ、私は貴方から生まれたと言っても間違いでは無いから。でも貴方は素人だから、ココは奇をてらわずに、ストレートな萌えに訴える方が良策だと思ったの。パパの方が良いって言うなら、これからはそう呼ぶけど?」
「断・固・拒・否!」

 もし人前で「パパ」なんて呼ばれた日にゃ、グーで殴るね、きっと、力一杯。頭蓋も砕けよとばかりに、捻りまくったコークスクリューで、カーロスの如きドランカーと化すまで。

「命拾いしたね、カグラ」
「何がよ?」

 カグラはスプーンを咥えたまま、首を傾げた。
 ウィンドウ越しに見た外では雨はもう止み、雲の切れ間から差し込む光をその名残が反射して、きらきらと輝いていた。
 あぁ、明日も暑くなりそうだ。


※注釈、または解説っぽい言い訳

Singin' In The Rain:シンジが言ってるのはジーン・ケリー主演のSingin' In The Rain(邦題:雨に唄えば)のことで、カグラが言ってるのはキューブリックの時計じかけのオレンジの1シーン。

マンガで見た事あるような学校の制服:昔、秋葉原電気街の外れにある書泉から、ヤマギワ本店にあるB&Oのショールーム目指して歩いてたら、目の前をマリみてとなんかのギャルゲの制服着た二人組が普通に歩いてて、ちょっと驚いた。寧ろ引いた。でも、SEGA前で信号待ちしてたら、目の前に体操着+ブルマの人が立ってた時程は驚かなかった。

NHKの青少年向け番組:偉大なるロックスター、ローリー寺西がテレビで見れるのはNHK教育テレビだけ! 逸れは兎も角、あの某しゃべり場とか言うクソくだらねぇ番組に出てるアホの子たちは、もしかして出演料とか貰っちゃったりしてるのかな? そりゃ受信料の支払い拒否されても仕方無いさ。

カーロスの如きドランカー:あのイナズマみてぇだったカーロスのパンチがよぉ……。

←BACK / ↑MENU / NEXT→